お花を届ける 続き
「お母さんに優しくしてあげてね。後で悔やむから」
「やることは同じだから優しくやって」
とのたもうた。
「どうせやってやるならもう少し優しくしてあげればよかった」
「そう考えると涙が出る」
「やることは同じなんだから」
と繰り返す。
先生とは老親を見るしんどさを分かり合えた。もっとも母ほとんど介護の必要はなく食事と洗濯たまに病院へ連れて行くくらいである。面倒を見れれたくはないのだろうとあまり関わらないようにしている。
それに比べ先生の老父はトイレでは尻を拭いてやり、リハビリパンツは履き替えさせなけばならなかった。さらに要介護度が進むと買い物から帰ってみたら居間で倒れていてリハビリパンツがとれて床が汚れていた。慌てて病院に連れて行くと間もなく回復した。その結果を受けて陰で「ほんとにしぶといんだから」とまでいっていた。
さらに身体が弱ってからは週に何回かショートステイを利用していた。身体の具合が悪くなり治療のために入院した。回復したがほぼ寝たきり状態になりショートステイは受け入れてもらえなくなった。入院していた病院は治療が終わったので退院しなくてはならない。受け入れてくれるのはT野病院だというので気は進まないがやむを得ずT野病院に入院させた。T野病院に入院させてみると十年以上も前から患っている大腸ガンが悪化していて人工肛門にする手術を薦められた。T野病院長は
「どうして人工肛門の手術をしなかったんだろう。先生がめんどくさかったのかな」
とのたもうたそうだ。
年齢を考慮すると手術は必要ないのではと言うのが当時診てもらった先生と相談した家族の結論だった。「めんどくさかったのかな」との言葉にT野病院長に対する信頼感は更に下降し、そのT野病院長に押し切られるような形で人工肛門の手術をすることになったそうだ。手術は別の病院でしたがその病院の担当医は説明が丁寧で納得して手術を受けさせたのだ。先生は担当医の丁寧な応対があったので手術に至るまでの葛藤を乗り越えられたという。先生の老父には手術是非の判断力は出来ない。本人の預かり知らないところで手術が決められ実施された。手術のための検査が手術そのものよりも苛酷なものだったそうだ。手術が上手くいって血色も良く声にも張りがあり頭もはっきりしたようで手術後お見舞いに行き
「よかったねお父さん。昨日は~だったんだって」
「昨日じゃねえよ。それは一昨日だ」
と言い返されたそうだ。
「父の方が正しかったのよ。私の方がボケもいいとこ」
と笑っていたのだ。
そんないきさつを知っているので
「心がけます」
と返事をしておいた。
その日の夕方。
夕食を用意して居室に持って行く。「優しくしてあげて」と真剣な顔で言っていたことが心に引っかかっていたのでいつもよりは声掛けを穏やかにして
「も少し水を持ってくる」
と聞いた。いつもテーブルの上に置いておくコップの水が減っていたのだ。
「そうだね」
で違うコップに水を入れて持って行った。
すると母はバックのがま口から四つに折りたたんだ千円札を出し小遣いを呉れるという。この千円札を呉れてしまうとがま口に残るのは硬貨ばかりだ。がま口にあるお金はデーサービスに持って行くお金だ。デーサービスでは利用者本人とはお金の授受はしない。たとえ季節ごとのイベント会費千円でさえも費用の理由を書いた書類を出して見守りの家族から受け取る。デーサービスに持って行くのは少額、千円位までと言われている。それでいつも千円札が一枚入ったがま口をデーサービスに持って行っている。そのなけなしの千円札を呉れるというのだ。金銭管理能力が無くなって久しい。母親の財産の管理は私がしている。
「お金は預かっているからいらない」
「その千円はデーサービスに持って行ったら」
というと
「ああ、そうか」
と千円札をがま口に戻す。
千円を呉れようとしたのは先生に言われていつもより穏やかに話しかけた効用だろうか。
次回、先生に会ったら忠告に従ったらこんなだったよと報告してみよう。
老親に対する態度も「先達はあらまほしきことなり」でしょう。