お金のこと
朝食を持って行く。
「ありがとう」
とお礼を言う。そして
「預けてある通帳からお金を下ろして使ってね」
と言う。
「お金で済むならばお金を払えば面倒を見てもらえる施設にでも行けば」
と言ってしまった。
ただで世話になろうというのではないお金をあげているではないかと威張っているのか、お金を上げるというのが最高の有難うの証なのか、媚びているのか。
年老いてからは人にお金を上げたがった。美容院のご亭主には送ってもらうたびに3000円。美容院に迎えに行って機嫌を悪くされたことがある。お礼に3000円だしても美容院のご亭主に送って貰いたかったのだ。金持ちの僧侶に心付け一万円上げた。線香と花代を千円札で出してお釣りを取っといてといったがお釣りは出なかったので一万円上げた。お盆のお参りの時だった。盆前にお寺から封書でお布施が幾らで卒塔婆が幾らと言ってきたので一万円位は納めた同じ日に心付けを上げたのだ。
従妹の連れ合いの葬儀で老女が姪や甥らしき親族に千円づつ上げていた。十何人兄弟とかで姪と甥は大勢いた。甥も姪もしっかり家庭を築いている。千円貰たからといってどうということもないだろうが丁寧にお礼を言って貰っていた。
老人になると金遣いが変わる人がいる。極度な吝嗇になるとか散漫になるとか。極端に変わる人ほどお金に対する思い入れが強かったのだろうか。ちなにみ母はしまり屋だった。私が子供の頃は米一粒を大事にした。
「米一粒だって出来るのに一年かかるんだから。大事にしなさい」
といっていたのだか、いつの間にかご飯を捨てるようになっていた。
通帳を預かった時は残金はほとんどなかった。退職金はどこへ行ってしまったのだろう。海外旅行でほとんど使ってしまったのと周りに小遣いを上げ過ぎてしまったのだ。年金が入ってくるからそれでも生活には困らないが入院とかになったときは自分では出せないほどだった。