塙保己一 続き

雨富検校に弟子入りしてからも試練はあった。あんま、針、琴、三味線などの修行があるがどれをやっても上達しないのである。また借金の取り立てが出来なかったという。検校は盲目という障害があるので高い利子で金を貸すことを認められていた。その貸した金の取り立てをしなければならないが出来なかったのだ。身を立てて行くことが出来ないならばと牛が淵の身を投げて死のうとまで思いつめた。牛が淵とは九段坂脇の堀である。ここに銭を積んだ牛が落ちて死んでしまったのだがそれが名の由来だという。坂は急峻であったようだ。牛が淵まで行ったが死ぬことは出来なかった。

 

学問に興味があり、読み聞かせてもらうことが保己一の唯一の楽しみだった。近くの武士、松平集尹(のりただ)が読み聞かせをしてくれた。盲目が学者になった者はいないと師の雨富検校は保己一の学問好きを懸念し思いとどまるように何度も言った。しかし師の雨富検校もまた保己一の理解者となっていた。三年の猶予で学問をすることを許してくれたのだ。三年たってもものにならなかったら国に返すとの約束だった。検校はいろいろな学者の元で学ばせてくれた。病弱な保己一の健康を改善を図って父と伊勢参りを進め、六十日間の旅費を出してくれたという。また遺産をすべて保己一に譲りたかった。しかしこれは保己一が固辞し最終的には雨富検校の遺産は困窮している盲人の救済のために使われたという。