タイの強制排除

19日配信の『まぐまぐニュース』【バンコク共同】によると
  
タイ治安部隊が19日早朝、ルンビニ公園を占拠している「反独裁民主統一  戦線(UDD)」の強制排除に乗り出した。

  数千人規模の部隊を配備
  
  装甲車数台がデモ隊のバリケードを壊し占拠区域内に突入
  
  UDD幹部数人が逃走


  銃撃などで亡くなった人もいる。


はるか昔、タイの経済発展が世界の注目を得る数年前、観光でタイに行き、「微笑みと仏教の国」という言葉に納得して帰ってきました。

タイの人たちの微笑みは、今思い出しても心が和みます。

あの穏やかだった国で騒乱が。気になるので他のニュースサイトを検索する。


5月19日11:14の『NHKニュース』によると
  
  占拠地域内には女性や子どもを含めた数千人のデモ隊がとどまっている。


  周辺では一時、治安部隊とデモ隊の双方から銃声が聞こえました。


  現地の日本大使館は、タイ政府から「軍が行動をするため、封鎖地区とそ  の周辺に住む人は屋内にとどまるようにとの緊急連絡を受けた」として、  現地に滞在する日本人に強く警戒を呼びかけています。


騒乱の背景は、現政権と旧体制のタクシン元首相支持団体の対立で、タクシン元首相支持団体は、アビシット政権は選挙で選ばれたのではないから正当性がないと主張している。


2006年9月の陸軍と警察による無血クーデターでタクシン氏は首相の座から下ろされた。


2006年9月の陸軍と警察による無血クーデターを指揮したのは、陸軍総司令官のソンティ・ブーンヤラッガリンで、国王ラーマ9世に忠誠を誓っていると報道されており、戒厳令を敷いた上で全権を掌握した。


ウィキペディア』「タイ軍事クーデター(2006年)」の記事によると、クーデターの原因は


タクシン氏は就任当時から汚職の疑いがあり、2006年にはタクシン・チナワット首相の親族による株式インサイダー取引疑惑が2006年1月に発覚し、一挙に政治不信が国民の間で増大した。



疑いを晴らすため、タクシン政権は人民代表院(下院)を解散して再選挙を行うという手を打ったが、主要野党が出馬をボイコットしたため、憲法裁判所が選挙無効を宣言した。



下院総選挙後にタクシン首相は退陣する意向を示したが、そののち公務に復帰し、国民から反発を買った。


当時の国軍最高司令官は、「王室を巻き込むのは我慢の限界」との旨を表し、タクシンに対してかソンティに対してかを明言せずに、「何かあるかもしれない」と何らかの形で軍隊が政治に介入する旨を示していた。


反首相派は、国王に全幅の忠誠を誓ったうえで、2006年9月19日に軍事クーデターを決行した。


疑問1「王室を巻き込むのは我慢の限界」という言葉の背景は。
疑問2どうして軍事クーデターなの。クーデターを起こした側には大義がある   ようなことをいっているふうだけど、民主国家でクーデターは反則でな   いか。



時間が来たのでこの調べの続きは次回。