朝の火事

2、3日前明け方火事があった。

早朝、ベッドの中で消防車のサイレンをきいた。
しばらくするとまた聞こえた。
そしてまた。
一体何台来たんだろう、
大きな火事らしい。
しかもかなり近い。
しかし我が家ではないし、
隣りでも、お向かいでもなさそうだ。
お向かいの家はいまは駐車場なっている。
その駐車場をかこんで酒造りの工場があるが、
そこでもなさそうだ。
寒いし眠いしそのまま寝ていることにした。

午後になって外に出ると、バス通りの向こう側に黄色いテープが張り巡らされていた。
消防車が2台、燃えた家のまえに止まっている。
燃えた家の中に消防士さんがいて、棒のようなもので地面に散在する黒い塊を探っている。

火事はY子ちゃんの家だった。
Y子ちゃんの家だけが、柱を残して中だけが燃えてなくなっていた。

Y子ちゃんの家は履物屋で店舗と住居が一緒になっていた。
Y子ちゃんの年老いた両親が毎日店を開けてはいたが、客の姿はほとんどなかった。店の真ん中には黒いゴム長靴がナン10年も変わらずに展示してあった。歳月のためか、埃をぬぐわないためだろうかそのゴム長靴には光沢がなかった。しかも左右の大きさも品物も違っていた。他にもサンダルなどが置いてあったが同様な状態だった。店の奥には「力王たび」の看板があったと思う。

火事の後で聞いた話によるとY子ちゃんのお父さんが火事で亡くなったそうだ。
お母さんは介護しきれないので施設に入っていたらしい。Y子ちゃんはずいぶん前に亡くなっていた。市内に住んでいるY子ちゃんの妹がこっちに来て一緒に暮そうといっても「オレはここがいい」といって一人で暮していたらしい。

何年か前に薪でお風呂をたいていたのを見た人がいるので、お風呂の火が消えていなかったのだろうか。

子どもの頃その家の薄暗い部屋に緋毛氈の五段飾りの雛人形が飾ってあるのを見た。その光景が忘れられない。五段飾りの雛人形は近所にはなかった。Y子ちゃんのお母さんの実家はどれほどのお金持ちなんだろうと思った。雛人形とか五月の武者人形とかはお母さんの両親が買ってくれると思っていた。

私の子どもの頃からその建物はあったから、昭和20年代の半ばには建っていたことになる。

少し傾きながらも風雪に耐えていた。
風で店の前が壊れたのを修理したのはほんの数年前のことだった。
だが燃えてしまった。
ご冥福をお祈りします。。。合掌。