お中元のお礼
お中元のお礼に米を5キロづつ持って行った。
1つは妹さんへ届けてもらう。妹さんからはかなり前にお中元を頂いたが住所が分からずいつもお兄さんに預けている。
ご兄妹のお母様と母の母がいとこ同士だった。母が比較的近くに嫁いでお母様と母の縁が深く、長じて嫁いだ妹さんと母の縁も何かとあり、お母様が亡くなった今でもお中元とお歳暮の時期にはご挨拶に見える。
母の希望でお返しはいつもお米だ。今日はお米を持ってお礼に行ってきた。
おしゃべり
椙村さんはティッシュを入れた紙袋をパウダールーム前のベンチに置いて入ってきた。
「平気でしゃべってるのよ」
パウダールームには私しかいない。相槌を打つ。
「そうですね」
同意を得て椙村さんは
「マスクをしていればいいってものでなはい。会話を控えるようにいってるのに」
ロッカールームでもお風呂でもおしゃべりに花が咲いている。
「浴室では会話をしないようにと張り紙があったよ。誰かが言いつけたから張り紙したんだ」
「浴室ではマスクを着用できないので会話はしないほうがいいのにね」
といら立ちと呆れのスパイスを入れて立て続けに言った。
椙村さんがそう言っている間も壁向こうの奥のロッカールームから大声で楽しくおしゃべりしている声が続いている。
楽しくおしゃべりしている人たちは傍若無人である。周りが見えない。通路をふさぐように立って話しているのでそこを通りたければ
「すみません」
と謝って壁際を身をすくめるようにして通ることもある。
コロナのずっと以前、ロッカーの前に立ちふさがるように立ったままおしゃべりに興じている四人がいた。彼女たちのロッカーはもっと奥だったようでたまたま私のロッカーのあたりで顔を会わせておしゃべりが始まったのだ。ロッカーからバッグを出したかったので、私のロッカーのドア前にいた一人に少しどいてもらってバッグを出した。少し退いたのであって邪魔になるからとそのグループがその場を動いたわけではなかった。バッグから必要なものを出してしまおうとすると、私のロッカーのドア前にいた人は今度はうろうろしては邪魔とばかりの高慢さで身動きしない。彼女の仲間も同様でおしゃべりは続いている。
「ほら、邪魔になっているよ」
と友達に注意する気配さえない。
彼女の顔の前でロッカーのドアを開けてバッグをしまった。それでも動こうともしない。彼女たちそろって三十代か。話題は乗馬クラブに行っている人がオクターブ高くレッスンのシステムについて話せば聞き手の一人がレッスン料は思ったより高くないねとか言っていた。乗馬の話題についていこうと振り落とされないようにしっかり捕まっていなくてはならないので周りに無頓着なのだ。
乗馬を習う前にマナー教室へ行けば。
週に数回の利用でも利用者のおしゃべり禍は経験している。ジムのお掃除歴が長い椙村さんは利用者のおしゃべり禍はたくさん持っているだろう。
雨音
日中は曇りだった。ポツリと来た時もあったけれど雨降りとはならなかった。
夜になったふりだしたようだ。雨音がする。
大雨に見舞われた地域にまた大雨が降るという予報がある。コロナの影響で他県からボランティアは来ないので人手が足りずに片付けもままならないでいる。そこへまたの大雨では雨音は被害者に恨めしく響くだろう。
今日は晴れ
今日は一日中晴れ。
朝は肌寒く長袖、スカートにスパッツ。昼間は気温が上がり、長袖のまま外出したが暑かった。スパッツを履いていては暑すぎるので十時ごろ脱いで車のトランクに入れた。夕方は寒く車の中のスパッツをまた着用して長袖に着替えその上に薄手の長袖のジャケットを羽織りストールを巻いて暖かさにホッとする。
テレビのニュースは九州の大雨の後かたずけの様子を流していた。かたずけても来週また大雨が二日ほど続くらしい。
今日の「相葉マナブ」は千葉県からだった。八街市のトウモロコシと冨里市のスイカの生産農家のトウモロコシやスイカをふんだんに使った料理を紹介していた。それぞれ新鮮な材料を惜しげなく使った贅沢な料理だ。
八街市トウモロコシ:トウモロコシの冷製スープ、トウモロコシのかき揚げ丼、トウモロコシのパンケーキ。
冨里市のスイカ:スイカを使ってジュース、ジャム、かき氷、そしてスイカのパンケーキ、スイカの白玉パンチ。
富里市は競馬馬で名を知っていたがスイカの特産品とは知らなかった。富里のスイカはかなりの大玉で大きいものになると10キロにもなるそうだ。スイカマイスターが奥さんが好きだというのでスイカの傍らにメロンを作っていた。
パンケーキとホットケーキはどう違うのだろうか。同じものか。クッキーとビスケットの違いのようなものか。ホットケーキというよりパンケーキ、ビスケットと言うよりクッキーと言ったほうがおしゃれな感じがするのでそう言っているだけか。
昔はもも引き、猿股。やがてスパッツ、その呼称が廃れてレギンスなどともいわれるようになった。膝までが何とかでくるぶしまで来るのが何とかでくるぶしまで来てかかとに掛けるのが何とかでとか説明があったが、その説明に使われている呼称がまた違ったようだ。買物するときに呼称を確認していたが今ではどうでもいい。ネットで写真を見て注文すれば名前など知らなくても欲しい形態物が手に入る。
母のそのたぐいの衣類はズボン下という。買い物でもデイサービスのスタッフにもそれで通じる。ズボン下という呼称はすたれないだろう。流行り廃りに関係なく安心して使えるよい言葉だ。
水泳
今日の練習は私を入れて五人だった。コロナのために来ない人がいる。コロナ以前はざっと思い出してみるとあと四人はいた。
でもジム全体でみれば復帰する人が増えている。駐車場もロッカーも空が少なくなってきている。最もロッカーは鍵を間引いているので空がないのだろう。この頃は平日の一時半頃行くと鍵が付いているのは一か所か二か所、隅の方とか使いづらい場所がやっと空いていたりするだけだ。まだ駐車場の方が空きに余裕がある。