老母

トイレ前から固形物を踏み付け擦った後が点々とある。トイレクイックルを吹き付けトイレットペーパーをのせてしばらく放置する。盛り上がった大きな汚れは拭き取ろうとしたが出来ない。固まっている。強くこすってどうにか汚れをおとす。光線の加減で落ちていても見えないものがある。トイレ前のブラウンの床だと特に分かり難い。知らないで踏んでいたのだろうか。母に

「beが落ちている」

と言うと

「そんなことはない。私は知らない」

と言う。リハビリパンツを上げないでトイレから出てくる。腰パンで廊下を歩き自分の居室に行く。ベット脇のリハビリパンツの袋から取り出し身に着ける。トイレ脇にリハビリパンツを何枚か置いてもそれは使わない。

 

近頃ではスボンだけで下には何もつけないことがあるとデイサービスのスタッフに言われた。朝でかけるまえにリハビリパンツを履いていることを確認して下さい。と言われてしまった。そういわれてから約一週間、リハビリパンツを履いてない日が二日あった。紙のリハビリパンツなどは着たくない気持ちは分かる。如何にも付け心地が悪そうである。しかも人一倍着るものにはこだわりがあり良いものを買いたい着たい方だったのだからなおさらリハビリパンツなどは履きたくない。それにリハビリパンツを拒否することで老いを認めたくないというのもある。デイサービスは年寄りばかりだという。

デイサービスに通うことになって数点のデイサービスのパンフレットを見せたときとパンフレットに載っていたおばあちゃんの写真を見て

「年取るとこんなとこへ行かなくちゃなんないの」

と馬鹿にしたような口調で言ったのだった。

自分は年を取ってないつもりか。九十四歳ではデイサービスの老人の中でも年長の部類に入ると思うが。しかも時々beを廊下に落とすくせに。老いを認めない、自分の非力を自覚しないでいるというのが老いの一つの表れだ。戦中戦後頑張ってきた。まだまだ頑張れる、自分は出来ると思っている。友人との電話の最後は

「頑張ろうね。頑張ろうね」

と呪文のように繰り返す。頑張ろう、頑張ろうと自分に掛け声を掛けて九十数年生き抜いてきた。頑張ることがりっぱなことだ、頑張れば道は開けると刷り込まれている。頑張らない潔さを知らないで老いてしまった。