痩せる

プールの真ん中からでははっきりと判別できない。時々話したりするあの人だ。少し痩せたようだ。顎から肩にかけてスッキリして首が細くなったがそれでもとふっくらタイプだ。骨太で大柄な人だ。向こうも気が付いたみたい。

「今日は。久しぶり」

「今日は。痩せた」

と聞いたら少し寂しそうな顔になった。ムッ、いけない事をいったか。

「そお~。そんなでもないよ。痩せてないよ」

否定された。で四方山話。

 

以前は息子のことを心配しているようなことを匂わせていた。

何か事情がある口ぶりだがそれ程は親しくないので余計な質問はしないでただ聞くだけ。息子夫婦の仲がギクシャクしている。想像。

 

話ながら水の中を歩く。プールを何往復かしてプール岸で立ち止まる。

「さっきもロッカーで痩せたね、どうしたのと聞かれちゃった」

と切り出した。痩せたことを気にしているのだ。

「私たちの年代は太るのを気にしているから。細くなった人がいると気になるのよ」

とフォローした。

「痩せたと言われると、気になる。そんなに痩せた」

「うん。首が長く見える」

「顔が痩せたの。胴の周りは変わらないのに。ちょっと体調崩してね。」

黙ってうなずく。根ほり葉ほり聞けない。聞いて貰いたいけど詮索はされたくはない。

「もう良くなったけど」

「そう」

「痩せたと言われるとなんか嫌」

 

二十代の頃、二つ年下の元同僚に道で出くわした。車の窓から出した顔がこけていた。

「随分痩せたね」

痩せたねといわれた顔は誇らしげだった。

「うん、ちょっと病気して治ったばかり」

病気してと言いながらも痩せたと言われて喜んでいた。

「体重は直ぐ戻るね」

と言ってハッとした。ムッとしたようだ。私の励まして言った言葉が気分を害したのだ。若い時は病気でも痩せればうれしい人もいた。勿論命に差しさわりのない病気の場合だが。大歌手マリア・カラスは減量のために寄生虫を腸に入れたとかだった。美容のために痩せるのに多少のリスクを冒す人たちもいた。5つ下の従妹は真夏に倒れて入院した。痩せるために数日間ほとんど食べていなかったそうだ。従妹は太ってはいなかった。それを聞いた母は

「きっちゃんは意志が強い。たいしたもんだ」

と私に言い私の意志薄弱を非難した。倒れるまで飯を食わないでいてみろ、ということだ。

 

痩せることがその年代のほとんどの女子の願いだった。もちろん例外はあり身長162センチ、体重48キロのモデル体型の友だちの悩みは体重が減ることだった。

「なんか体重が減ってしまって。1キロ減ったの」

と悩まし気に言う。こっちは直ぐ増える。そのセリフを聞く度にどうしたらそんなに簡単に減るのかと思ったものだった。どうして1キロ減って悩むんだとも思った。

「体重が減ったの」

と何度も聞かされて痩せているのが悩みの人もいると理解した。

 

高齢者に足を踏み入れつつある今はジム通いは体重を減らすことから体力維持に目標が変わった。減量して体調を壊したくはない。でも体重は落としたい。

 

ー計算して食べなさいー。

 

テレビで言ってる。本にも書いてある。でも実行出来ない。で現在に至る。なのだ。